親愛なる不安な心へ

10 分前
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芸術、絵って、高尚である必要は全くなくて
描いた人がただ救われるための手段なのかもしれません。
そしてそれを見た人は、その作品から制作者の気持ちを思ったり
絵の雰囲気から好きなように自分の世界を当て嵌める。
こうであったらいいな。きっとこうであるのだろう。
そうして自分の物語になって、その人の気持ちも少し救われたり、楽になったり。
正解がなくても許される存在であってほしいのです。
数字では表す必要がない。
技巧を誇示するものでもない。
言葉にできない感情は、複雑で、それこそ本当の気持ちです。
私はもっと、自分の世界を見つけてみたいです。
自分に対してどうにもできないことはたくさんあります。
ままならない。悲しくもなる。
むしろそういうことばかりですね。
だけど、どうにかできることも少なからずあるのです。
世界を見つけるということは、新たに遠くへ手を伸ばすということではなくて
足元から底へ底へ掘っていくような感覚です。
私が持っていなかったものと、持っていたもの。
どうにかしてみることが出来るのなら、いつまでも足掻いてみようかと思うのです。
どれだけ持ち物を増やせたかではなくて
持っているものをどれだけ愛せたか。
生きていることは綺麗なことではありませんから、
これからも顔をたくさんしかめることになると思いますが、それだけは忘れずにいたいです。
どうか、近くへいてほしいと願いながら。
私が手放さなければ大丈夫かなと期待しながら。
描いたり、弾いたり、縫ったりして
いつかくるおしまいをのんびり待っています。
素敵なものを、作れますように。
呆れてしまうほど不安ばかりが大好きな私たちの心へ
愛をこめて。




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