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龍の目

  • 執筆者の写真: orie
    orie
  • 1 日前
  • 読了時間: 7分




龍が見えます。

私には、龍が見えるのです。


初めてその姿を見たのは3歳の頃でした。

母の手に引かれながら、たくさんのシロツメクサの生い茂る草原で、

私はこれからお花のかんむりをどれだけ上手に作れるかと心を躍らせていました。

すると、大量のシロツメクサの上に、ざあっと影が落ちました。

樹のない草原で不思議に思い、私は空を見上げると、

頭上のすれすれを長さ2メートルほどの小さな龍が泳いでいたのです。


白銀のうろこが太陽の光を受けて宝石のように光っていました。

私は思わず目を細め、母の手を握りしめました。

母はそんな私の様子に気がついて、「どうしたの?」と問いかけました。

「あれは?」私がそれを指さすと、母はその指の先を不思議そうに見つめました。


「なあに?」

「あの、細長いの」


しかし母の目は空を切るばかりで、一向に龍の姿を見止めませんでした。

ちょうど空には飛行機雲が線を引いていたので、母はそのことだと思ったのでしょう。

次第に納得したように頷き、

「あれは飛行機さんが通った道なのよ」と微笑んで私に教えました。

そうしている内に龍は遠くへと姿を消してしまいました。

私はその美しい姿が忘れられず、その晩龍の長いひげを撫でる夢を見ました。


それから、私が再び彼と出くわすのにそう長い時間はかかりませんでした。

直接触れられることはないものの、空を見上げればその雲間を縫うようにして泳ぐ龍の姿が

いつだって私の目に飛び込んできました。


私は何度も龍に語りかけました。

――ねえ、家族はいる?どこに住んでいるの。

何が好きで、何が嫌い?

こっちへおいで、おはなししよう……

しかし、龍が答えることはありませんでした。

それでも平気です。私はいつも龍を見つめていましたし、彼もまた私を見つめている気がしたからです。

晴れ渡る青い空にも、星の瞬く夜空にも、私は龍を想って話しかけました。

いつの間にか私は、空を見上げるのが大好きになりました。


不思議なことに、龍の姿は誰にでも見えるわけではないようでした。

少なくともその時私のそばに同じような人はいませんでしたから、

私はしばしば周りの皆から奇異の目で見られることになりました。

常に空を見つめて何もないはずの雲間を眺めている。

気味の悪い子だという噂が絶えませんでした。


私はいつだって、本当のことを話していたのです。

不思議だと思うことを問いかけていたのです。

しかし私のことを誰もが嘘つきで、傲慢な子だと思っているようでした。

関わってはダメよ、嘘つきが移っちゃうわ……


傷ついた私は、もう誰にも龍のことを話さなくなりました。

龍を見ることをやめてしまいました。

知らないふりが上手になればなるほど、私は皆の輪に溶け込めるようでした。

教室の中にいたって、私だけ浮くことはなくなりました。

私は私を溶かして、皆の中に混ぜたのです。

たくさんの人の中へぐるぐると混ざったそれは、もはやどこからどこまでが私なのかわかりませんでした。

龍の姿が大きくなり続けていることには気がついていました。

でも、もう彼に語りかけませんでした。

私は私自身にも、もう何も語りかけませんでした。



目を背けることが上手になった私の教室で、昔の私のように嘘つきだと呼ばれている女の子がいました。

彼女は正しいと思うことをすぐに口に出してしまいます。

彼女にはたくさんのものが見えていて、それらひとつひとつをどうしても無視できないようでした。

本当のことを見つめれば見つめるほど、『皆』が溶け出した液の中から、自分だけぷかりぷかりと浮かび上がってしまいます。

皆は浮かび上がったものが嫌いです。自分たちと違うものには恐怖を感じるからです。

同じ色をして、同じ顔をして、同じことを考えている方が安心なのです。

彼女が私に龍の話をしたことがあります。

私はその時、嘘をつきました。嘘をつくことのほうが、本当のことを話すよりもずっとまともなことみたいに感じました。

ちくり、と心がうずきます。

溶け出した私の部分が、私の中へ戻りたがっているようでした。

波風の立つ胸の中を、私は暫く持て余していました。



それは随分と風の強い夜のことです。

窓ガラスが音を立て、割れてしまうのではないかと思うほどでした。

何事かと不安に駆られて窓の外を見ると、そこにはとても大きくなった龍がいました。

小さな家なら、簡単に飲み込んでしまえそうなほど。

彼の周りには竜巻が起き、まるで全てのものを攫ってしまおうとしているかのようでした。

私は大慌てで、靴も履かずに外へと飛び出しました。

「あの子、あなたの龍なんだね」

突然そんな声が聞こえて、振り向くと彼女がいました。同じ教室の、あの娘です。

「え?」

「だって、ほら。ずっとあなたのことを見てる」

彼女の指さした方へと視線をなぞらせると、そこにははっきりとこちらを見つめる龍の顔がありました。

その時私は随分と久しぶりに、彼の姿を見つめたのです。


「でも、落ちちゃうよ」と、彼女は寂しそうに言いました。

「あなたが見てあげないから、あんなに大きくなっちゃったんだね。

見つけてほしいんだよ。見失ってほしくないの」

彼女は私の目から目を離しません。

「私の龍は小さいの。とっても近くにいるから見失わない。

あなたの龍はあんなに大きいのに、迷子になってしまったんだね」


すると、ごおっと音を立てて突風が吹き、私の体は宙へと舞い上がりました。

くるくると回りながら、どんどん上へと昇っていきます。

あまりの恐怖に思わず目を瞑ると、世界が風の唸り声に包まれたようでした。

そう長い時間ではありません。

突然ふっと風が途切れると、音がぱたりと止み、静寂が訪れます。

目を開けると、すぐ目の前に龍の顔がありました。

先程とは打って変わってしんとした静けさの中、私と龍は夜空に浮かんだまま、暫くお互いを見つめていました。


龍の瞳に薄い光の膜が張り、きらきらと瞬きながら、それはゆっくりと零れ落ちていきました。

まるで青白い炎のようなその涙は、静かに、ぽたり、ぽたりと流れ続けました。

流れ落ちた涙は街へと注がれ、地面を伝い、送電線を走り抜けていきます。

涙の通った電線は力を失い、街の明かりが消えました。

暗くなった街には龍の涙だけが輝き、上も下も夜空が全てを包み込んだように見えました。


――私を見ていて。


心の中に低い声が灯ります。

気がつくと私の目からも、一粒、また一粒と涙が溢れ出していました。

――私を、見ていて。

初めて龍の声を聴いた気がしました。私は彼の大きな瞳へと手を伸ばしました。

流れ続ける涙を拭ってあげたかったのです。

手が触れた途端、これまでの龍の記憶が私の中へ流れ込んできました。

龍はずっと私の姿を見ていたのです。私がたくさん話しかけていた時も、私が彼を見なくなった時も。


周りの言葉なんて、些細なことだったのだと思いました。

皆の輪に溶け込めなかったからってなんだというのでしょう。

龍と一緒に空から見る世界は、とても綺麗に思えました。

私は龍のことが好きで、本当は見ていたかったのです。

誰の目も気にせずに。


明かりの消えた街では、次第に人々が外へと出てきました。

全ての電気が消えた街の中、空から降り注ぐ龍の涙だけが星のようにきらめいています。

いつの間にか嵐は収まり、心地の良い空気が流れています。

この夜、人々は久しぶりに風の音に気がつきました。

夜がこんなに暗かったこと、星があんなに眩しかったこと。

虫の声、人の息づかい、隣にいる人は、それなりに穏やかな顔をしているということ。

なんの情報も必要ありませんでした。目の前の光景だけが、全てでした。

「綺麗だね」とつぶやきながら、人々は初めて、夜を心ゆくまで見つめました。

とても美しい夜でした。


☆。☆。☆。


龍が見えます。

私には、龍が見えるのです。


私はよく空を見上げます。

何かに躓いた時、悩み事がある時、嬉しいことがあった時、涙が出そうな時。

わからない時は、わかるようになるまで。ずっと、心の中で語りかけます。

龍のことは人には言いません。彼等の目に映らないということもまた、真実だからです。

上手に嘘をつきます。随分とまともなふりをして。

私が見失わずにいれば、それでいいのです。


今日もまた、私は龍を見つめます。


どんな一日だった?私はあの娘とご飯を食べたよ。

思ったより不思議じゃなかった。好きな小説も一緒だった。

今度映画に誘ってみたら、どんな顔をするかな?

さあ、こっちへおいで。

おはなししよう。




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